誠実な人もいれば、そうでない人もいます。
時には騙されたり、裏切られたりすることもあります。
腹も立ちますし、悲しくもなります。
ですから、自分はそんな人間にならないように努力しています。
一生懸命に生きていれば、いつの間にか自分の周囲には、信頼できる人が集まってくれています。
他人よりまず自分が信頼されるに足る人間であるかどうかではないでしょうか?
人を信じるというのが「自分が何も考えずに、相手に心を開ける」とか「相手にも自分への無償の誠実を求める」
という事になっていませんか?
それは信じるというよりは甘えるという関係に近いと思います。
(ちなみに、甘えるのが悪いことだとは思いませんよ。相手は選ぶ必要がありますが。。)
相手を信じるというのは、相手を自分以上に大切に思う事だと思う。
そうしたら、自分のすべてをかけても惜しくないと思えると思うから。
それは相手に「信じさせられた」のではなく、「自分で決めた」事です。
その人と間に辛いこともあっても、相手が自分と同じくらいに思ってくれなくても、
後悔はしません。
絵空事を言ってても意味ないので、今の日本で言うならば、なかなか日常生活で自分や相手の本質を
見極める機会は少ないので、
時間もかかるし、相性もあるから、決して簡単な事だとは思いませんけど。
安心できる人が必ずいるって信じて、
生きています。今目の前にいる相手を信じれていないってことのげんいんがなんなのか
自分自身と相手との考えが違うだけなのかとか、
本当にそうなのかとかいろいろかんがえて
結局のところその原因が通り過ぎてしまった先に、その相手とどう過ごしていけるか
未来が明るいのか、今は信用できなくてもいつか、理解できる日が自分自身でくるのかとか
いろいろ葛藤してダメなら、その人から離れます。
気苦労すると肌にも悪いし、相手にも悪い。
ただ、自分とは合わなかっただけ。そう思って進みます。